ヒストリー
何故山羊の乳でチーズを作ろうと思ったのか
社長が2014年に新規就農してから、しばらくは果実の栽培をしていました。
果実の栽培をしていて美味しい果物を作ろうと思うと、良質な堆肥が必要になり、深く追求していった結果山羊の堆肥が果実の生産に非常によいことが分かり、山羊を飼育する決意をしました。
そしてそれは、就農当初思い描いていた、昔ながらの農村風景であり、持続可能な農業であり、循環型農業の実践でもありました。
畜産に関わった事などひとつもなく、山羊の飼育は初めての試みでした。
しかし全国的にも珍しい山羊や羊の人口授精士の免許がとれる施設が近くにあり(全国に2カ所のみ)そこで基本的な山羊の飼育管理について勉強して、晴れて家畜人工授精士の免許を取得しました。
そして果樹園の近くの耕作放棄地を開墾して山羊の飼育施設を建設しました。
開墾作業は大きい木が生えていて、大きなバックホーを使っても抜くのに苦労しました。
部分的に大きな木を生やしておいて、山羊達の夏場の日よけの場所を残し、熱い夏場には山羊達が、木陰で涼しそうにしている姿も見る事ができます。
生まれて初めての大工作業で分からないことだらけでしたが、農協の職員の方や、いろんな方にアドバイスをいただきながら、何とか丈夫な小屋がたたりました!
その後の大雪や台風にもびくともすることなく、丈夫な小屋ができました。
山羊が健康に育つためにも、山羊が自由に歩きまわれる大きな庭をつくりました。
その中には、開墾作業の時に邪魔でどうしようか迷っていた大きな石を置いてあり、高い所が好きな山羊達は、競い合ってその石に上って皆で遊んでいます。
初めての山羊の導入時は、長野県の下伊那で年に一回開催される、山羊市場に参加して一頭購入しました。ちょうど世間での山羊ブームもあり、一頭の価格が15万円前後で本当はもっと買いたかったのですが、一頭のみとなり、上田市まで約3時間かけて車で運びました。
今でも元気に乳を生産してくれています。
山羊達の為に作った広場では、自由気ままにのんびりと山羊達が元気にすごしています。
初めての山羊の子供が生まれた時は、出産から何から初めてのことだらけで怖かった思いが未だ忘れられませんが、元気な赤ちゃん達はとってもかわいく、ぴょんぴょん運動場を走り回る姿は、見ているだけで癒されます。
山羊の施設を作った周りは、山の近くということもあり、私達が近くで栽培しているブドウが熊に食べられる被害が何日も続いたり、毎日のように上田市から熊出没に関する情報が届き、このままでは、山羊達が熊に食われてしまうんじゃないかと、夜中に見回りに回ったり不安な毎日を過ごしていました。
そんな時、近所の猟師さんから「うちの犬飼わないか?」とお誘いいただき、とっても可愛い甲斐犬の熊吉が家族になりました。
最初はとっても小さくただただ可愛いかった熊吉も徐々に大人になり今では立派に番犬&看板犬として活躍してくれています♪
また熊吉が一人では可哀そうと思っていた時、今度は違う猟師さんから「四国犬いらねーか?」と声をかけていただき、四国犬の文太も家族に加わりました!
今では熊吉&文太で立派に番犬をしてくれています♪
山羊のチーズが作りたくて、自分たちで試作品を作る工場等で指導を受けながらチーズを作ったりもしましたが、やはり、専門家の元で修行をしなければ美味しいチーズは作れないと結論にいたり、ホンダジェットの設計にも関わった科学者でもあり、チーズのプロフェッショナルのボスケソチーズラボの是本さんの元へ修行にいきチーズ製造から、チーズの科学知識までいろんなことを教わり、チーズ製造の技術を身に着けました。
山羊の飼育頭数が増えるにつれ、当初建設した山羊舎だけでは、窮屈になってしまい、どこかに山羊舎で使える施設はないか探していたら、たまたま、上田市の所有している施設が見つかり、借り受けることになりました。しかしかりたはいいものの、30年も前の施設であり、いたるところがぼろぼろで、大きな木も生えていたり、使うまでの整備で3か月・・・何とか山羊舎として使えることになり、搾乳山羊達の憩いの場となりました。
- 2018年 家畜人工授精士の免許を取得
- 2019年 耕作放棄地を開墾し、山羊の飼育施設15aを建設
- 山羊を10頭、羊を2頭導入
- 山羊の獣害被害防止の為に、甲斐犬(熊吉)が仲間になる
- 2020年 四国犬(文太)が新たに仲間になる
- 丸子地域の放棄されていた豚舎を借り受け、新しく山羊舎を設置
- 2021年 羊の赤ちゃんが初めて生まれる
- 搾乳機による搾乳開始
- チーズ工房カプレットオープン